【墨俣一夜城】大垣を代表する観光名所で大垣市民の出世スポット!”一夜城”は?

大垣市墨俣にある”墨俣一夜城”は 永禄9年(1566年)、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられていて、 羽柴秀吉・豊臣秀吉が出世するきっかけになったと言っても過言では無いほど全国的にも有名なお城です!

「墨俣一夜城」は同じ大垣市内にある「大垣城」をまねて造ったと言われています。一夜にして造られたと言われていますが、当時は「砦」のようなものを「城」と呼んでいたので、「砦」の建設であれば短期間で造られたことは確かだと思われます。

秀吉はこの「墨俣一夜城」建設の功績が認められ、日本の歴史の表舞台に登場するようになりました。そのことからもこの地は出世を願う人のスポットとして注目されるようになっていったようです。

なつむぎ

今回はその出世スポットとしても有名な大垣の”墨俣一夜城”をご紹介!

目次

墨俣一夜城

「一夜城とは」の画像検索結果"

現在の岐阜県大垣市墨俣町墨俣にあった戦国時代日本の城である。

築城時期は不明である。長良川西岸の洲股(墨俣)[2]の地は交通上・戦略上の要地で、戦国時代以前からしばしば合戦の舞台となっていた(墨俣川の戦い)。斎藤氏側で築いた城は斎藤利為らが城主を務めた。また、1561年永禄4年)ないし1566年(永禄9年)の織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いたと伝えられている。これがいわゆる墨俣一夜城であるが、不明な点が多く、様々な議論がある。[3]

現在、墨俣城跡の北西側は一夜城跡として公園に整備されている。公園内には大垣城天守を模した墨俣一夜城歴史資料館が建てられているが、史実上の外観とは異なる[4]。また、公園内にある白鬚神社式内社荒方神社の説がある)には境内社として模擬天守閣が築かれたさいに分祀された豊国神社があり、豊臣秀吉が祀られている。

ウィキぺディアより
なつむぎ

歴史の教科書にも必ず出てくる、秀吉を語るうえで欠かせない出世のエピソードのお城が大垣市にあるんです!!

一夜城の逸話・伝説

「大垣一夜城」の画像検索結果"

良く知られる話では、織田信長の命で、最初に佐久間信盛が洲股砦城の建設に挑むも失敗。柴田勝家も失敗し、木下藤吉郎(豊臣秀吉)が「7日のうちに完成させます」と言上しました。
そして、美濃勢を伏兵奇計で撃退しながら、砦城の建造準備を行い、1562年6月中旬頃、雨で戦闘が中断している中、上流から流した材木を組み立てると、一夜にして墨俣城を完成させたと言う逸話です。

なつむぎ

有名な逸話ですが、実際は違うみたいなんです・・知ってました?

実際のエピソード自体は後世の軍記物による創作とされる。

「実際の一夜城はとりでのようなものだったでしょう。天守閣は一夜城を後世に伝えるための資料館なのです」と杉原重明館長は話しています。

墨俣に侵攻した秀吉の総兵力は2140人。信長から借り受けた兵は鉄砲隊の75人。1万数千本の材木を木曽川へ流し、安全な場所で築城用に加工して現場で組み立てた。今で言うならプレハブ工法で馬防さくを作り、敵の攻撃を防ぎながら3日間で城を造ったとされています。

「信長公記」には「洲股要害」として記載があり、また当時 秀吉の家臣だった前野家に伝わる古文書にも詳細が伝わる。当時は土塁と堀切、馬柵などを備えた砦だったが、現在は跡地に巨大な模擬天守が建てられ、内部は前述の前野家古文書の紹介を中心とした歴史資料館となっている。

永禄4年(1561)の戦いで織田信長が墨俣城(当時は砦のようなもの)を占領し、改修したとする史料もあり、秀吉による墨俣一夜城伝説は創作であるとの声も強い。その後、墨俣城は天正14年(1586)に起きた木曽川の氾濫で流され、再建されることはなかった。また、木曽川の流れが現在のように変わったこともあり、城があった場所は正確には不明である。

なつむぎ

一夜で建てたっていうエピソードがかっこよすぎて、真偽は不明でもいいのでしょう!

その方がお話的に面白いから後世の人々が話を脚色した疑いも濃厚らしいです

出世の泉&資料館

「一夜城 出世の泉」の画像検索結果"

墨俣城の天守入口前にはひょうたんをモチーフにした願掛け用の「出世ひょうたん」があります。

毎年10月の日曜日に開催される「すのまた秀吉出世まつり」では、薪の代わりに一年間奉納されたこの「出世ひょうたん」をかがり火にくべて願いの成就を祈ります。

豊臣秀吉公は、千成びょうたんを馬印に、次々と手柄を立て、天下人の地位を手に入れました。その秀吉公が、出世の足掛かりとした一夜城址でとんとん拍子の出世にあやかり、家内安全・無病息災・学業成就などの様々な願いを、ひょうたんに託してみませんか。
秋の”すのまた秀吉出世まつり”(十月)の薪能(たきぎのう)の際に、このひょうたんは、かがり火となり、あなたの願いは炎と共に天に届き、念願がかなうでしょう

墨俣一夜城(墨俣歴史資料館)

「一夜城 出世の泉」の画像検索結果"
名称墨俣一夜城(墨俣歴史資料館)/すのまたいちやじょう(すのまたれきししりょうかん))
所在地岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1
関連HP大垣市
料金
電車・バスでJR岐阜駅・名鉄新岐阜駅から岐阜バス大通方面行きで25分、墨俣下車、徒歩10分
ドライブで名神高速道路岐阜羽島ICから約7.5km
駐車場さくら公園駐車場を利用/無料
問い合わせTEL:0584-62-3322
なつむぎ

大垣市の中でもトップレベルに全国的に有名な”一夜城”

歴史的にもおもしろい一夜城にぜひ行ってみましょう!

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメント一覧 (1件)

コメントする

目次